2006-07-23
未来と過去と、そのあいだ
ヒンドゥー語では、きょうは「アージュ」きのうは「カル」あしたも「カル」と言います。昨日、今日、明日は「カル・アージュ・カル」。ついでに、おとといは「パルソン」、あさっても「パルソン」です。
つ まり今日を中心として、昨日と明日、一昨日と明後日は、同じ言葉で言い表わされます。時間は現在を起点にして、過去と未来に等間隔に広がっているというこ とで、英語で一昨日が before yesterday、明後日が after tomorrow というのとは違った時間の捉えかたです。
たしかに、歴史としての時間は過去から未来へという方向で流れています。しかし、私たちの生命としての時間は、いまこの瞬間に生まれている。過去を想起することは、未来を知ることであり、未来の予感のなかに過去は再び生まれる・・・。
最新の情報が、最先端、最重要である、というこのウェヴ世界で、私はただただ、自身の記憶の海に漂い、過去を想起することにおいて、現実における未来を創造してみようと思います。
それって、逆走じゃない?
ベクトルが反対方向だよ。
いいじゃない。生のベクトルはひとりひとり違うんだから・・・。
あくまでも個が起点。
みんなで巨大なひとつの渦をつくるなんてまっぴらごめんよ。
無数の渦をつくろうよ! いっしょに・・・ね!
2006-07-07
7月の翼、あるいは虹
小さな翼をもっていた
誰も見ていないときは
そっと広げて風をとおし
いつの日か飛翔することを夢見ていた
風をとおすことも忘れたある日
フラ・アンジェリコの絵を見たとき
この人は翼に風を送り続けているのだと思った
「虹がでたよ」誰かが叫ぶと表へ駆け出す
幼い頃はしょっちゅう虹を見ていた
雨上がりに辺りの空気がサッと変わると
ホラッ あそこに!
一瞬の幻だからこそそれは美しい
歓びが胸を駆け上る
誰かが飛翔したのだ
やっと歩き始めた幼子のように
足をもつれさせながらも立ち上がろうとする
この大地から離れることはないだろう
それでも風をとおしつづけよう
いつの日か飛翔するその日のために・・・
誰も見ていないときは
そっと広げて風をとおし
いつの日か飛翔することを夢見ていた
風をとおすことも忘れたある日
フラ・アンジェリコの絵を見たとき
この人は翼に風を送り続けているのだと思った
「虹がでたよ」誰かが叫ぶと表へ駆け出す
幼い頃はしょっちゅう虹を見ていた
雨上がりに辺りの空気がサッと変わると
ホラッ あそこに!
一瞬の幻だからこそそれは美しい
歓びが胸を駆け上る
誰かが飛翔したのだ
やっと歩き始めた幼子のように
足をもつれさせながらも立ち上がろうとする
この大地から離れることはないだろう
それでも風をとおしつづけよう
いつの日か飛翔するその日のために・・・
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