2006-06-07

名の由来



た とえば、宗教画や宗教像など、そのほか宗教に関わる様々な表現を前にすると、そこに未だかたちをなさない、未だ語られないようなものがある気がします。そ のいっぽうで、多くの宗教表現が歴史や物語のヴェールに覆われ、すでに宗教の幻影や残骸でしかないように思えてなりません。ですから宗教的なるものの前に 立ち止まり、その殻を打ち破り、宗教の名のもとに張りめぐらされた仕掛けを解き、かつて宗教的天才たちが示したはずの、人間の「叡智」の跡を辿ろうとする ことに大変興味を抱きます。インドに滞在して、インドという環境にはいまだ「叡智」へのとば口のようなものが目の前に開かれていると感じました。インドで 育った「Ganesha」は、あくまでも「踊り」の地点に立ちながら、たえずそうした人間の叡智の跡を辿ってゆきたいと思っています。人身象頭のアンバラ ンスな神ガネーシャ神は、富という大地の欲望を満たしてくれると同時に、叡智という宇宙の欲望をも満たしてくれる神様と考えられています。神々とはつねに 異なる次元を跨いでいるもののことですが、ガネーシャ神のおおらかな体躯と、狂暴な表情がことのほか気に入り、「Ganesha」の名前を拝借しました。 (1988年Ganesha設立)


ガネーシャ神は、もともとサンスクリット語で「ヴィナヤカ」と呼ばれ、災いを起こす神様として 恐れられていました。後に「ガナパティ」、すなわち「ガナ=精霊(良いも悪いも含めて」を「パティ=統率する」ものという名前を戴いてからは、逆に善悪と もども全ての霊を支配する精霊の王とみなされるようになりました。この「ガナパティ」と「ガネーシャ」は、同じものの呼び名です。



アタマの行方

踊りながら世界の創造と破壊を行うシヴァ神、その息子であるガネーシャは、シヴァの怒りにふれてアタマを飛ばされた。母であるパールバティ女神の懇願により、その後最初に通りかかった動物、象のアタマをつけてもらった。


もう離れないね。

もちろん、踊りは離れちゃいけないからね。

でもね、踊るときはアタマが明るすぎてもいけない。象のアタマぐらいがちょうどいいいのさ。

なんとハイブリッドだね。現代的じゃない!

古いものは新しい。最先端はウーンと古い、ていうのが神話の常識さ。

ところで、最初のアタマは何処へ行ったの?

多分、ずっとさまよい続けているんじゃない。このウェヴ空間を・・・。

探しに行こうよ!

ガネーシャの最初のアタマを探す旅。いまここから・・・。