2006-12-28

冬の眠り



そろそろ冬眠の準備をしなきゃ
最近の熊は遅いみたいよ
美味しいものの味を知って
もっともっと欲しくなるの

その昔
冬眠は命がけだった
再生できるかどうかは
どう眠るかにかかっていた

今は誰も眠らない
ずっと光が瞬いてるなか
ずっと起きて動いてる
闇に身を浸すことを
忘れてしまったのよ

それに熊は人間を怖れなくなった
境界がなくなったのよ
おかしなことね
崩すべきでないものは崩れ
あるはずもないところに
突如あらわれる壁

ほんの少し
・・・眠りたい・・・
僅かばかりの栄養をとって
ジクジクした傷を舐めながら
春にはきっと新しい皮が生えるのを
・・・待つの・・・

きっと真っさらな皮に覆われて
再生することを
信じて
・・・眠るの・・・



2006-10-31

10月の声



静寂のなか
声をきく
語ることをやめた
声に耳を澄ます
カラッポの器に
なみなみと美酒が注がれるように
声に満たされ
声のなかでたゆたう

声・・・
それは沈黙


2006-10-23

稽古場、聖域としての・・・



小さな稽古場を持っています。坂の途中の今にも崩れそうな平屋の一軒屋。二十畳程の広さをぶち抜いて板張りにしてから、かれこれ15年は経ったでしょうか。西日のあたる縁側は年々傾き、もう戸が開くのは20センチ程の隙間だけ。台風がくれば壊れるのではとハラハラし、大雨が降ればあちこち雨漏りし、汲み取り便所には水がしみ込み、隙間だらけのその家は外と殆ど気温が変わらず、夏は暑く冬は寒い。それでもそこは私の聖域で、あらゆる苦悩と歓びの生まれる場所。稽古、という魂の交歓を行う場所。

この夏私はそこに通い詰めました。時間の許すかぎり、その場で過ごした。夜も25℃を下らないような気温が続き、時々想い出したように回る扇風機と共に、殆ど熱中症になりそうななか、濡れタオルで体を冷やしながら、踊りの制作に没頭しました。この夏が最後かもしれない・・・そのような予感があったからでしょう。もうここは維持できないかもしれない、という想いが・・・。

走り続けた夏は終わり今は秋。考えるにも、動くにも、ちょうどよい季節。私は自身の奥底で何かが静かに動くのを感じます。あまりにも静かなので、それはもはや、動いているのか止まっているのか、生きているのか死んでいるのか、私なのか、あなたなのか・・・もはや・・・わからない・・・。


あらゆるものが変化して
すべてが時と共に崩れ去ってゆく
それでも壊れないものがあるだろう
時間にも空間にも惑わされないもの
そのことに心を向ける
たとえ愛するものが消え去ったとしても
失うものなどなにもない

2006-09-22

2006-09-15

公演のお知らせ




風 葬 の 日 々

Ganesha公演
山下きよみ独舞


9月16日(土) 7:30pm
9月17日(日) 3:00pm
9月22日(金) 7:00pm

1,500yen
金沢市民芸術村ドラマ工房(Pit2)
http://www.artvillage.gr.jp/


夜明けにはまだ間があるというのに
鳥が鳴く
きっと夢でも見たのだろう
未明の夢が白昼夢になる前に
葬り去る
粉々にして
風吹きすさぶ彼方へと
そこでなら
祈りつづけるることができるだろう
この溢れんばかりの日々を



早 いもので、インド滞在からすでに19年の歳月が流れましたが、今でも時おりインドの夢を見ます。それは言いしれぬ懐かしさに溢れたものです。真昼には、ふ としたきっかけで、幼い頃の記憶が渦巻いて溢れてくることがあります。からだに溢れんばかりのものを抱え、軽い眩暈のなかで思うのは、幼い頃もインドでの 日々も、それは溢れんばかりの日々であったと・・・。そしてその日々は現在でもつづいていると・・・。だから私は踊るのだろうと・・・感じる今日このごろ です。

9月の風、あるいは疾走




わたしは走りつづけた
風吹きすさぶ荒野を
風に引きちぎられながら
霧立ちこめる峰々を
霧にかき消されながら
緑したたる大地を
花咲く野原を
うずもれまどろみ涙しながら
わたしは走りつづけた
音のない水面に映る青黒い貌を凝視しながら
稲妻に打ち据えられた脳髄を引きずりながら
わたしは走りつづけた
ただただあなたに会うために
あなたの前に立つために

何度でも何度でも生まれるだろう
あなたの目のなかに
そしてあなたの胸の内に
ゆらめく真っ白な炎となって

2006-08-20

探しもの




見つけたとおもったら スルリとぬけ
捕まえたとおもったら もう見えない
確かに知っていたはず
誰かが知っていたはず
どこをどう探せば見つかるのか 
それが
でももうわからない 忘れてしまった
何を探しているのか
何故探しているのか
そして探していることさえも

意識的に離しながら離したことさえ忘れているものを・・・
つなぐ

2006-08-15

8月の・・・



その昔
女たちにとって日々の営みそのものが祈りであった
きょう一日を生き延びるために、あらゆるものに心を注ぐ
それが自らの生命を生かすことであった
特別なものなどつくり出さずとも
創造性はあらゆる細部から溢れだし
歓びを生み 愛を生み 命を生む

もし日々の営みのなかに祈りがなくなれば
歓びはどこから生まれるのか
愛はどこから生まれるのか
命はどこから生まれるのか
溢れる想いはどこへ向かうのか

目は語らず 口は聞かず 耳は見ず
荒野をさまよいつづける

ささやかなつつましやかなこの一日が
かすかに微かに降り積もっていくとき
やがて確かな跡が刻まれる
女たちの・・・
祈りの跡

2006-07-23

未来と過去と、そのあいだ




ヒンドゥー語では、きょうは「アージュ」きのうは「カル」あしたも「カル」と言います。昨日、今日、明日は「カル・アージュ・カル」。ついでに、おとといは「パルソン」、あさっても「パルソン」です。

つ まり今日を中心として、昨日と明日、一昨日と明後日は、同じ言葉で言い表わされます。時間は現在を起点にして、過去と未来に等間隔に広がっているというこ とで、英語で一昨日が before yesterday、明後日が after tomorrow というのとは違った時間の捉えかたです。

たしかに、歴史としての時間は過去から未来へという方向で流れています。しかし、私たちの生命としての時間は、いまこの瞬間に生まれている。過去を想起することは、未来を知ることであり、未来の予感のなかに過去は再び生まれる・・・。

最新の情報が、最先端、最重要である、というこのウェヴ世界で、私はただただ、自身の記憶の海に漂い、過去を想起することにおいて、現実における未来を創造してみようと思います。


それって、逆走じゃない?

ベクトルが反対方向だよ。

いいじゃない。生のベクトルはひとりひとり違うんだから・・・。

あくまでも個が起点。

みんなで巨大なひとつの渦をつくるなんてまっぴらごめんよ。

無数の渦をつくろうよ! いっしょに・・・ね!

2006-07-07

7月の翼、あるいは虹



小さな翼をもっていた
誰も見ていないときは
そっと広げて風をとおし
いつの日か飛翔することを夢見ていた

風をとおすことも忘れたある日
フラ・アンジェリコの絵を見たとき
この人は翼に風を送り続けているのだと思った

「虹がでたよ」誰かが叫ぶと表へ駆け出す
幼い頃はしょっちゅう虹を見ていた
雨上がりに辺りの空気がサッと変わると
ホラッ あそこに!

一瞬の幻だからこそそれは美しい
歓びが胸を駆け上る
誰かが飛翔したのだ

やっと歩き始めた幼子のように
足をもつれさせながらも立ち上がろうとする
この大地から離れることはないだろう

それでも風をとおしつづけよう
いつの日か飛翔するその日のために・・・

2006-06-10

6月の夢、あるいは真珠



金剛石になりたかった
どこまでも透明でけして壊れることなく
輝き続ける金剛石に

しかし私は真珠だった
その輝きがどこからなのかも定かではなく
けしてなかを窺い知ることのできない真珠

嘆くことなかれ
外から発見され磨かれなければ光ることないダイヤに比べ
真珠はすでにその殻のなかで完成されている
自らの分泌物で自らを紡ぎ
殻を開いたときにはホラもう完成されている

形がいびつだと・・・?
嘆くことなかれ
完全な球形など観念のなかでしか存在しないのだから
そして乳白色のその珠は呑まれるためにこそある

金剛石は眺めるもの
真珠は呑みこむもの
それはあなたに呑みこまれ
自ら紡いだものを
自ら解くことによって
世界のなかに溶解する

2006-06-09




私 はインターネットが苦手です。パソコンの前に座っているよりも、静かに本を読んでいたり、風に吹かれながら外を歩いていたりするほうがすきです。現在の脳 中心ともいえる社会において、サイバースペースはますますそれを助長するのではないか、という危惧ももっています。あらゆるものが、身体さえもが情報化さ れる社会において、踊りは、けして情報に還元されないものです。本来ひとつでありながら、現代人においては離れてしまいやすい、心と肉体、この「からだ」 まるごとの生命のたえざる生起のただ中にあるのが、踊ることであると思います。

からだに中心はありません。中心を創るのは脳であり、 からだにおいては無数の点が中心たりえるのです。そういう意味ではこのネットの空間は、ひとつの中心というものをもたず、あらゆる個人が無数の起点として 他と繋がっていながら、どこにも実在がない、繋がれなければないも等しいという、不思議な空間です。それは踊るときのからだの回路にも似ていて、使わなけ ればないも同然、そして使い方によっては、汲めども尽きない泉のようです。

いままでは苦手意識で避けてきたものを、自分のなかで繋いでみようと思います。その方法として、ここでは私という個人の痕跡を、言葉と記憶においてに探ってゆくことにします。その底とも知れぬほの暗さのなかで、あなたと出会うであろうことを予感して・・・。



想うことのいま

踊 りは、からだに記された記憶の総体に関わることにおいて、現在のこの瞬間に生起するものです。そのときの記憶とは、私という個体がこの世界に生を受けて生 まれてくる以前、太古より連綿と続いている、人である以前の、この世界のあらゆる生命の記憶、とでもいうべきものです。私たちのからだには、そのようなも のが内包されているということを前提として、私は踊りということを考えています。

想うこと、それは、いまこの瞬間のはたらきです。ここで私は、記憶の糸を辿りつつ、それを未来へ繋ぐようなことを、踊ることの裏側の作業として、ゆっくりとやっていければ、と思っています。

2006-06-07

名の由来



た とえば、宗教画や宗教像など、そのほか宗教に関わる様々な表現を前にすると、そこに未だかたちをなさない、未だ語られないようなものがある気がします。そ のいっぽうで、多くの宗教表現が歴史や物語のヴェールに覆われ、すでに宗教の幻影や残骸でしかないように思えてなりません。ですから宗教的なるものの前に 立ち止まり、その殻を打ち破り、宗教の名のもとに張りめぐらされた仕掛けを解き、かつて宗教的天才たちが示したはずの、人間の「叡智」の跡を辿ろうとする ことに大変興味を抱きます。インドに滞在して、インドという環境にはいまだ「叡智」へのとば口のようなものが目の前に開かれていると感じました。インドで 育った「Ganesha」は、あくまでも「踊り」の地点に立ちながら、たえずそうした人間の叡智の跡を辿ってゆきたいと思っています。人身象頭のアンバラ ンスな神ガネーシャ神は、富という大地の欲望を満たしてくれると同時に、叡智という宇宙の欲望をも満たしてくれる神様と考えられています。神々とはつねに 異なる次元を跨いでいるもののことですが、ガネーシャ神のおおらかな体躯と、狂暴な表情がことのほか気に入り、「Ganesha」の名前を拝借しました。 (1988年Ganesha設立)


ガネーシャ神は、もともとサンスクリット語で「ヴィナヤカ」と呼ばれ、災いを起こす神様として 恐れられていました。後に「ガナパティ」、すなわち「ガナ=精霊(良いも悪いも含めて」を「パティ=統率する」ものという名前を戴いてからは、逆に善悪と もども全ての霊を支配する精霊の王とみなされるようになりました。この「ガナパティ」と「ガネーシャ」は、同じものの呼び名です。



アタマの行方

踊りながら世界の創造と破壊を行うシヴァ神、その息子であるガネーシャは、シヴァの怒りにふれてアタマを飛ばされた。母であるパールバティ女神の懇願により、その後最初に通りかかった動物、象のアタマをつけてもらった。


もう離れないね。

もちろん、踊りは離れちゃいけないからね。

でもね、踊るときはアタマが明るすぎてもいけない。象のアタマぐらいがちょうどいいいのさ。

なんとハイブリッドだね。現代的じゃない!

古いものは新しい。最先端はウーンと古い、ていうのが神話の常識さ。

ところで、最初のアタマは何処へ行ったの?

多分、ずっとさまよい続けているんじゃない。このウェヴ空間を・・・。

探しに行こうよ!

ガネーシャの最初のアタマを探す旅。いまここから・・・。

2006-06-05

プロフィール


1984 - '87 インド・ニューデリー国立舞踊学校留学(古典舞踊習得)1988 Ganesha(活動拠点)設立  以後,舞台活動を行う

インドの古典・伝統舞踊との関わりを経て,現在は既存のスタイルにとらわれない独自の表現の可能性を目指す。2008〜2012、山本萌氏(金沢舞踏館)に舞踏を師事。近年は主にソロ活動を行いながら,アートとのコラボレーションに参加。東洋的な身体性に基づいた,からだの在り方を探っている。


<作品および活動>

1987
私のからだの大地の太鼓
1988
青き神 黒き神
巡礼の水
1989
ダキニの哄笑
シヴァとカーリーが踊るとき
ホーリー
1990
奇蹟
1991
虹の民族誌
1992 - 1994
小作品によるライヴ活動を行う
1995
ふたりの真面目なレディ
1996
聖女の種子を呑む
1997
微熱
1999
ダンスカクテル
ZEROパフォーマンス
暗闇に月を打つ
2000
Ka-ro-mi
2001
Ku-n-ju
2002
微のあいだ
蜜のこえ
2003
女は存在しない
2004
いつだって止まりたい,,,。
(7×bikki舞踏公演)
おくりもの -In The MUSEUM-
2005
光の庭へと
2006
風葬の日々
2007
bi-n0-aida
2008
グラジオラスは発火する
(金沢舞踏館公演)
2009
種子の夢
2010
THE GIRL AND HER OBJECT
2012
Transcending Legends
Echo Nymph  -光の孤独-
2013
Absence of the tea master
Transition From Arrival To Departure
2015
十一の微光











Biography in English










Using my experience with classical dance and the traditional dance style  of India, I am seeking a unique form of expression not shackled by the  convention of the existing styles. In recent years, I realized many new  pieces. While the focus lies on solo performances I have also developed  new concepts, incorporating visual arts and collaborating with other  artist. My main focus as a performer lies on eastern body concepts. 
1984-1987 Studied traditional Indian dance in New Delhi National dance school  1988 Founded dance studio [Ganesha], began performance activities in Kanazawa
 
[the works and the activities]
1987 The easthen drum within my body
1988 Blue God & Black God  
     Water as pilgrimage
1989 Dakini laughs loudly  
     Hori (Indian thanks giving) 
1990 Miracle
1991 The ethnography of Rainbow
1992-1994 Small series of dance performance in Kanazawa
1995 Two serious ladies
1996 Swallowing a seed of Saintess
1997 Slight fever (Febricula)
1998 Dance cocktail
     Trucking to the moon in the darkness
2000 Ka-ro-mi
2001 Ku-n-ju
2002 Into the Differentiation
     The voice of honey
2003 The woman does not exist
2004 The gift-in the MUSEUM
2006 The day of FUSO
2007 Bi-no-aida
2008 Gladiolus Burning
2009 The dream of seed
2010 The dream of seed 
     The girl and her object
2012 Transcending Legends
     Echo Nymph
2013 Absence of the tea master
     Transition From Arrival To Departure
2015 Faint light of eleven
 







                                                                       [contact]





















18-38 Yokoyama-cho Kanazawa Ishikawa JAPAN 920-0922  
e-mail  chuchuner@gmail.com
http://www012.upp.so-net.ne.jp/chun/

2002-03-24

微のあいだ





物になるまえ 事になるまえ 形になるまえに























インスタレーション USHIJIMA Ko


写真 HAYASHI Hajime